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WEB MAG #16 オリンピックの今昔と環境問題

2024パリオリンピックが閉幕しました。
皆さんは、どんなスポーツを応援しましたか?
日本人選手の活躍も素晴らしかったですし、今回のオリンピックも熱く盛り上がりましたね♪

実はオリンピックの歴史と環境には深い関係性があるんです。
今回は、いろんな小話とともに、環境に配慮したオリンピックについてもご紹介していきます。

オリンピックの起源とオリーブ

現在行われているオリンピックの元となる古代オリンピックの起源は、紀元前9世紀ごろに古代ギリシャで開催されていた「オリンピア祭典競技」と呼ばれる競技祭にまでさかのぼります。起源には諸説ありますが、ギリシャを中心にしたヘレニズム文化圏の宗教行事で、様々な神々を崇拝するために行われていたと言われています。
古代オリンピックも4年ごとに開催されており、短距離走や中距離走などトラック競技をはじめ、戦車競走、レスリングやボクシングなどの格闘技、やり投げや円盤投げ、幅跳びといったフィールド競技を行っていました。競技者たちが裸だったのは、出自や貧富貴賤をわからなくし、皆が対等であることを示していたためとされています。

このオリンピア祭典競技の勝者に与えたとされるのが、オリンピアの庭に植えたオリーブの枝だったといい、これがオリーブ冠の由来となっているのだそう。実際、ギリシャで開催された2004年のアテネオリンピックでも金メダリストにオリーブ冠が授与されています。
オリーブは、古代ギリシャ人にとって神聖なものであり、豊穣、平和の象徴。
古代オリンピック開催の間はギリシャ全土で休戦協定が結ばれ、祭典期間の5日間を含め前後3ヶ月間は国内外のすべての争いごとの禁止や刑の執行停止などが徹底されていたそうです。
オリンピック開催を告げる使者は、頭にオリーブの葉冠をかぶり、杖をもってギリシャ各地を回っていたと言われています。間もなくオリンピックが始まること、そして同時に、すべての争いを休止することも告げられたということからも、オリーブが平和と結びついていることが想像されますね。


近代オリンピックと環境問題

古代オリンピックから1500年後の1892年、フランスのピエール・ド・クーベルタン男爵がオリンピック復興の構想を発表しました。1894年、彼がパリ国際会議において提唱した「オリンピック復興」は満場一致で可決。1896年、第1回オリンピック競技大会が開催されました。
お馴染みの五輪マークも、このピエール・ド・クーベルタン男爵が考案したもの。5つの輪は、アジア・ヨーロッパ・アフリカ・南北アメリカ・オセアニアの5大陸の団結と、オリンピック競技大会に世界中から選手が集まることを表現しているそうです。使われている5色の色にも理由があり、青・黄・黒・緑・赤と地色の白は、世界の国旗のほとんどを描くことができるから、と本人が書き残しています。

記念すべき第1回オリンピックは、ギリシャのアテネで開催されました。参加したのは欧米先進国の14ヶ国で、実施された競技は、陸上、水泳、ボート、体操、レスリング、フェンシング、射撃、自転車、テニスの9競技。選手は男子のみ241人でした。
日本が初めて参加したのは第5回ストックホルム大会(1912年)で、NHK大河ドラマ“いだてん”のモデルにもなった金栗四三と、三島弥彦の2名が選手として出場しました。

世界大戦の勃発など歴史に翻弄された時期もありましたが、オリンピックは時代を越えて「世界平和を最終目的とした世界のスポーツの祭典」として発展し続けてきました。
一方で近年、オリンピックはスポーツの祭典というだけでなく、商業的な意味合いも高まっていきました。それに伴い、開催地の環境的負担も増加。施設建設時の自然破壊や来場者による大量のゴミ廃棄、競技場の廃墟化や食品ロスといった問題も。

今でこそ「環境に配慮したオリンピック」は当たり前のように定義づけられていますが、実はその大きな契機となったのが1972年に札幌で開催された第11回冬季オリンピック。
1972年は、ストックホルム会議(国連人間環境会議)の開催や、地球資源の有限性が着目され「成長の限界」と言われる研究が発表されたことから、環境問題が話題となった年でもありました。
札幌オリンピックでは、当初計画していた手稲山がアルペンスキー滑降に必要な標高差が足りず、恵庭岳に競技会場新設が決定。しかし、自然保護団体が環境保護の観点から建設反対の声を上げ、組織委員会との間で何度も話し合いがもたれることに。大会終了後、施設を撤去し、植林により現状復元するという条件で、ようやく国の建設許可が下りました。
復元工事・植林には約2億4,000万という費用がかけられたそうで、これは、オリンピック・ムーブメントにおいて初めて実施された環境保護対策と言われています。しかし、本来植えるべきエゾマツの入手が困難だったことから、完全復元、植生回復は難しかったという事実も残っています。

恵庭岳


オリンピックと環境への意識の変化

札幌大会以降、オリンピックを巡って環境保全団体からの抵抗運動が起こるようになります。
1976年には、第12回冬季オリンピックの開催予定地であったアメリカのデンバーが大会開催権を返上。経済的な問題に加え、環境保護団体からの抗議もあり、それらの解決策が見出せなかったことが一因とされています。

IOCは(国際オリンピック委員会)は長らく「スポーツと文化」をオリンピック・ムーブメントの柱としてきました。その風潮が変化したのが1990年。「スポーツと文化」という柱に「環境」を加えると、当時の会長:フアン・アントニオ・サマランチ会長が提唱。それまでの受け身の体制から、積極的に環境保全に取り組むことを明言しました。


環境保全を意識したオリンピックへ

ここからは、環境に配慮したオリンピックの実例の一部を紹介していきます。

1992/  バルセロナオリンピック

日本選手の活躍/マラソン有森裕子選手の銀メダル、当時中学2年生だった岩崎恭子選手の金メダル(女子200m平泳ぎ)など

スペインのバルセロナで開催された第25回オリンピックでは、IOCをはじめ、参加したすべての国や地域のオリンピック委員会、選手たちが「地球への誓い(EarthPledge)」に署名。国際スポーツ界が世界的に環境保全に取り組み始めるエポックメーキングとなりました。
バルセロナオリンピックでは、大規模な都市再開発が行われました。それまで工業地帯として汚染されていた海岸線エリアが整備され、美しいビーチやレクリエーションスペースとして再生。市内には新たに公園や緑地が多数整備され、特にモンジュイックはオリンピックの主要会場として整備され、現在も市民の憩いの場として機能しています。


1994/ リレハンメル冬季オリンピック

日本選手の活躍/スキー:ノルディック複合・団体の金メダル、スキー:ジャンプ・ラージヒル団体の銀メダルなど

夏冬を通じて最北の地、ノルウェーのリレハンメルで開かれたオリンピックは、《環境に優しいオリンピック》というスローガンを標榜。
施設建設については自然や周辺環境への影響をできる限り抑えることを主眼として進められました。アイスホッケーの会場は岩山をくり抜いて作らるという斬新な設計。アルペンコースの会場は麓から見えないようにするなど、景観保護にも配慮し、スピードスケートの会場には木製の屋根が使われました。
じゃがいもを原料とした食器が使われたり、会場跡地へボランティアによる植栽も行われるなど、リレハンメルオリンピックの環境施策はその後の大会への指針となったと言っても過言ではありません。


1998/ 長野冬季オリンピック

日本選手の活躍/スキー:ジャンプ・ラージヒル団体の金メダル、女子モーグル里谷多英選手の金メダルなど

長野オリンピックは「美しく豊かな自然との共存」を大会の基本理念として掲げ、計画段階から環境保全を強く意識して進められました。
その中で当時社会問題ともなったのが、男子滑降競技スタート地点問題です。当初、滑降の競技会場は志賀高原の岩菅山が予定されていましたが、そこは数少ない手つかずの自然が生きる場所。環境保護団体の反対を受け、開発を断念することになります。かわって会場とされたのが既存のスキー場である白馬八方尾根スキー場。そこでもスタート地点をめぐって国際スキー連盟(FIS)と長野オリンピック組織委員会(NAOC)の意見が対立します。NAOCが設定したスタート地点では難易度が低すぎるとFISが反発。より高いスタート地点にするよう要求しましたが、その地点だと国立公園内の第1種特別地域を横切ることになるとNAOCが譲りません。一度変えてしまった自然環境を完全復元することは難しいという、札幌大会での教訓も意識されたのでしょう。結局、「国立公園の特別地域にかかる部分は手前に山を盛ってジャンプで上空を通過する」という妥協案が採用されました。
そのほかにも極力既存の施設を活用し、どうしても自然環境の改変が必要な場合は、大会後、速やかな復元に尽力。森の再生には、その土地に最も適した樹木の苗をビニールポッドの中で育てたものを植える「幼苗植栽手法」や、「表土復元方式」といった手法を用いた郷土種による緑化が行われました。
また、開会式では、水分に触れると分解する「ハト風船」が飛び、オリンピック村のレストランでは、リンゴの搾りかすを利用した紙食器を使用。クロスカントリーのコースでは、雪を維持するために硬雪剤を使わのではなく、畳を雪の下に敷き、雪不足に備えました。

2000/ シドニーオリンピック

日本選手の活躍/マラソンの高橋尚子選手の金メダル、柔道女子48kg級の田村亮子選手の金メダルなど

シドニーオリンピックでは夏季オリンピックで初めて「環境保護」を掲げた大会。誘致運動の段階から環境保護団体「グリーンピース」を参画させ、環境への配慮を標榜しました。1992年の地球サミットで採択された環境原則を踏まえ、環境ガイドラインを策定。メインサイトになるホームブッシュ・ベイでは、生態系調査が実施され、そこで確認された多くの貴重な生物種を守るように施設整備が進められたそうです。また、この地区一帯は産業廃棄物の投棄場であったことから、廃棄物の除去とダイオキシンの分解、植林など会場の土壌改善も進められました。
オリンピック村の設計と建設においては、再生可能エネルギーの利用や省エネ技術を積極的に導入。太陽光発電システムが広範囲にわたって設置され、居住区の電力供給を支え、建物には断熱材や二重ガラスが使用され、エネルギー効率の向上が図られました。さらに、オリンピック村の住宅は大会後も一般の居住用として利用されることが前提とされており、持続可能なコミュニティのモデルとして設計されました。
また、公共交通機関の利用が強く推奨され、選手や観客には無料の交通パスを提供。大会期間中は一般車両の利用が抑制され、交通による環境への悪影響を大幅に削減できました。
水資源の保存も大きな課題として取り組まれました。雨水を最大限に収集し活用、会場内での水の需要を最小限に抑えるなど、持続可能な水資源管理システムを導入。さらに、下水処理システムが高度に整備され、汚染の防止と水質の維持が実現しました。これにより、大会後も地域の水資源が持続可能に利用できるようになったのです。
廃棄物の回避・最小化においても成果をあげており、サイト内の建物を取り壊した際に出る廃コンクリートや廃材の70%がリサイクルされました。また、シドニー・スーパードームの建設工事の際に発生した廃コンクリートや廃材などのうち98%が、道路や歩道の基礎材などとしてリサイクルされたそうです。
その他にも、ゴミの分別の徹底や、植林プログラムの実施など、その後のオリンピックと環境を考える上で、一つの象徴と言えるような大会となりました。

2002/ ソルトレイクシティ冬季オリンピック

日本選手の活躍/スピードスケート男子500mの清水宏保選手の銀メダル、女子モーグルの里谷多英選手の銅メダルなど

2002年のソルトレイクシティでも環境保全と改善を目的に多くの施策が実行されました。
排気ガスをゼロにすることを目標とし、大会期間中の予想排出エネルギー量を算出。企業から寄付された未使用の排出権を使用することにより、大会の排気ガスを相殺するという取り組みを実施しました。 
また大会運営においては、廃棄物の削減とリサイクルが重視されました。各競技会場や選手村では、廃棄物の分別回収システムが導入され、紙やプラスチック、アルミニウムなどのリサイクルが徹底されました。また、使い捨て用品の使用を最小限に抑え、再利用可能な資材の使用が奨励されました。


2012/ ロンドンオリンピック

日本選手の活躍/ボクシング村田諒太選手の金メダル、体操男子個人総合の内村航平選手の金メダル、女子レスリングの伊調馨選手・吉田沙保里選手らの金メダルなど

2012年のロンドンオリンピックは、「オリンピック史上もっとも環境に配慮した大会」を目標に掲げて開催されました。
招致のためにまず行われたのが、競技場・関連施設が集中する予定となっていたロンドン東部地区の土壌改善。この地区は、産業革命以来、工場やプラントが集中していたため、有毒な化学物質による土壌汚染が懸念されていました。そこでオリンピックの開催に伴い、最新技術を用いた土壌の浄化が行われ、利用可能な土地へと戻したのです。
また、「ロンドングリーン・ビルド2012」という取り組みを実施。既存施設を最大限活用するほか、オリンピック・スタジアムの屋根に不要になったガス管を再利用。木質資材の大半に森林認証材を採用するなど、施設整備でも環境への最大限の配慮がなされています。
象徴的なのが自転車競技場「ヴェロパーク」。天窓から自然光を取り入れたり、自然換気されるような設計により、人工的な光や空調の必要性を抑えているほか、水の使用を節減するために雨水も貯蓄されており、高いエネルギー効率を実現しています。
大会期間中は観客にもゴミの分別を呼びかけ、生ゴミのコンポスト化やペットボトルのリサイクルを行いました。この結果、ロンドンオリンピック運営時の廃棄物の再使用・再生利用率は、高水準を達成。当時、オリンピック史上最もエコな大会として、世界中から賞賛されました。


2020/ 東京オリンピック

日本は過去最多の金27、銀14、銅17の計58個メダルを獲得
日本選手の活躍/金メダル:男子野球、柔道阿部一二三・詩選手はじめ9名、卓球混合ダブルス、男子野球、女子ソフトボール、スケートボードの3名などなど

2020東京オリンピックは、コロナ禍の影響により開催が2021年に延期され、ほとんどの競技が無観客で行われるなど異例づくしのオリンピックとなりました。
2015年に国連サミットで採択された「持続可能な開発目標」いわゆるSDGsが世に浸透してきた中で開催され、大会史上初めて「脱炭素」を目標に掲げます。再生可能エネルギー100%で大会を運営すること、大会中に排出する二酸化炭素(CO2)を実質ゼロにすることを目指しました。ちなみに、聖火台・聖火リレーで使われた一部のトーチや、大会用車両として使用されるFCV(燃料電池自動車)には、使用時にCO2が発生しない水素が燃料として使われました。
さらに、東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会で授与される約5000個の金・銀・銅メダルを、全国各地から集めたリサイクル金属で製作するメダルプロジェクトを実施。これは「都市鉱山からつくる!みんなのメダルプロジェクト」として、国民に対し、オリンピックを通じてリサイクルへの意識を高めてもらえるよう環境省が主催して始まりました。
また、リサイクル、リユースへの取り組みでゴミの分別が徹底されました。ロンドン大会が3分別だったのに対し、東京大会は「ペットボトル」「紙容器」「プラスチック」「食べ残し・ティッシュ・割り箸など」「飲み残し」の5分別を実施。会場の一部では、分別ナビゲーターがごみ分別ボックスの周りで案内していたそうです。



ここまで挙げてきた具体例は、環境に配慮したオリンピックの中のほんの一部。
他にもいろいろな環境施策を行なった事例が存在するので、興味のある方はぜひ調べてみてくださいね。

スポーツを通して世界がひとつになるのがオリンピックの醍醐味でもあります。歴史に残る名勝負やスポーツマンシップに触れ、さまざまなドラマが生まれてきました。
これからのオリンピックではどのようなドラマが生まれるでしょうか。今から次のオリンピックが楽しみです♪